最近の私のYouTube視聴テーマは、承認欲求。
アドラー心理学や、ブッダの教えなどの紹介動画で承認欲求が考察されている。
承認欲求は、人間誰しも持ってるものらしい。
そして、地球上の生物では人間しか持たない欲求だそう。
人間には承認欲求があるから、周りに認められたいという向上心で色々なことを頑張れるのだ。
それによって科学や産業や学問は進歩したのだろうから、悪いことではないと思う。
私も子どもの頃から承認欲求は強いほうだったと思う。
一見、自己主張したり目立つ行動はしないタイプだったけど、人から認められたくて陰ながらコツコツ努力するタイプだった。
受験勉強も部活動も、結果を出して友達や親から認められたいと思って頑張っていた。
今になると、私には何も特技が無いというコンプレックスがあったせいのようにも思う。
高校生くらいになって、友達の中で楽器とかダンスとかスイミングとか、幼い頃から1つの事に打ち込んで来た子が目立ち始めた。
私には、趣味は?特技は?と聞かれても答えられるものがない、そう気づいた🥲
私の両親は、子どもに何か習わせるという発想が無かったようで、私は何も習いごとをしたことがなかった。
小学校になると、たいていの友達が、◯曜日は〜〜があるから遊べない、と何かしら習い事をしていたので、内心は私も習字とかスイミングとかやりたかったのに、なぜか親に言わないで心にしまう子だった。
その自分の経験から、私は10代の時に、将来、私が母親になったら子どもには小さい頃から何か1つ習い事をさせる、と決めていた。
自分の承認欲求を子どもで昇華しているな〜と、複雑な気持ちになる。。😅
しかし実際、長男はスイミングを年長から4年生まで続けて、4泳法をマスターしたおかげで、スポーツがあまり得意ではないけれど、水泳の時間は得意だった。本人も、周りより得意なものがあることは自信になったと言っていた。
そして認識を新たにした事は、他人が気になるのも承認欲求が原因だということ。
私は、昔から他人に厳しい。
その前に、当然自分にも厳しい。
別に誰かれ構わずではないつもりだけど。
自分を律するとか、計画性を持つとか、嫌なことから逃げないとか、そういうことを美徳としているので、そう出来ない人がルーズに見えて受け入れ難い。
これは高校生くらいからそう。
遅刻ばかりする子、チームでの創作ダンスで自主練してない子、予習やってなくて人のノート丸写しする子、部活サボる子…
他人のそういう部分が気にかかっていた
若い頃よりは、だいぶ考え方は柔軟になって来たつもりだけど。
それでも職場内では厳しくなる。
なぜ給料をもらっていてそうも無責任でいられるの?とか、向上心が無い人だ🤷🏻♀️とか。
同僚に対してイライラすることは多い。
これって当たり前のことかと思っていた。
だって、無責任な人の皺寄せを私が食らうのだから。イラっとするでしょ。
友達に私の思いを聞いてもらうと、共感されるし。
しかし、このブッダの教えを説いた「反応しない練習」をAudible で購入し毎日聞いてると、他人を自分の価値観でジャッジしてイライラする感情は、承認欲求から生まれる、という理屈は思い当たらなくもないなぁ、と🤔
私が正しいこと、当たり前のことと思ってしていることを出来ない人がいることにイライラするのは、会社のためを思ってのことだと考えていたのだけど、実は、私が周りから認めて欲しいという気持ちがあったせいか…🤔
そうかも知れない。
私はこんなにやっているのに、、
そんな思いから、やらない人はダメな人とジャッジしては、イライラしていたのかも。
そこに思い至ると、なんてつまらない事にこだわっていたのかとバカバカしくなった。
原因は他人ではなく、私の承認欲求にあった。
他人は自分の思い通りに変わることはないのだ。
それなのに他人の言動にいちいち反応して、ジャッジして、腹を立ててストレス抱えるなんて、ムダなことだ。
他人の価値観に振り回され、エネルギーと時間を浪費するだけで、得るものが一つも無い。
そんなエネルギーは他のことに使わなくては。私には時間が無いのだから☺️