おしゃべり好きワーママの話のタネ

おしゃべり好きな私の脳内に溢れている話題を好きに綴っています

ハンデのある人にもっと愛ある社会に♡

先週末に役員をした保護者たちで暑気払いをした。

その席で、参議院選でれいわ新選組から当選した議員お2人についての話題になった。

私は、障害認定をされている人が家族にはいないため、介護制度の知識がほとんど無い。仕事をすると公的介護サービスを受けられなくなるだとか、知らずに生きて来た😓

 

あの議員2人がそういう制度の現状を「国会に出席できない」という表現をして切実に訴えたことで、そんな仕組みになってるんだと、世間の多くの人が知ることになり、そういった制度のあり方でいいのか悪いのかだとか、ネット上でも騒がれているし、問題提起したこと自体は障害があって介護サービスを利用する当事者の方のためには良いことじゃないのかと思いながら見ている😃

 

というのも、私の担当の弁護士が去年まで約2年裁判をしていた原告の方が、生まれて間もなくの病気が原因で脳性麻痺になり、四肢に麻痺が残った方だった。

 

裁判の中で、裁判官と被告に、まずは原告の半生を知ってもらうため、ご両親から生まれた時から成人するまでのことをたくさん聞く機会があり、これは私にとって初めてと言える出会いだった😌

 

私が保育園に通ってた時、同じクラスに知的障害のある子がいたり、小さい頃住んでいた自宅近くに知能と身体に重度障害のある子が引っ越してきたり、子どもの保育園にも重度の障害の同級生がいたり、、関わる機会が無くはなかったけど、私の想像力が足りなかったというか、障害についてどこか他人事で見ていたんだと思う。

 

赤ちゃんで脳性麻痺を負った方が、これまでに家族と共にしてきた毎日の努力を初めて知った🥺

 

健常児なら何の苦労もなく成長とともに腹ばい→つかまり立ち→歩行→排泄と自然に身につけるこの動作を獲得するため、そしてそれを何十年と維持するため、脳性まひを負った赤ちゃんとご両親は、自宅と通院でリハビリを毎日コツコツ続けたそうだ。

そこに割く本人と家族の時間は途方もないし、一生涯続く。

私は、自分に繋がる家族が今までそういう時間を割かないで済んでいること、それは貴重な時間なのだから深く感謝しなきゃいけないな、と気付いた🕰

 

毎日、私は仕事と家事と育児で時間に追われ、やっつけで日々を送っていて、「ああ忙しい」「ああ大変」とか心の中でよく呟いてしまっているが…すごく贅沢なことだったんだと、目覚めさせられたようだった🤯

そしてご両親は、幼少時の原告を、どんなに遠い場所であろうと、良いと聞いた病院や施設に連れて行った。

その甲斐あって原告が歩けるようになったのは4才。

小学校からは自分の足で登校できたそうだ😂

これだけの努力をしても、成人してからの握力は普通の女性の半分程度、走ることはできなかった。

それでもニコやかに人と接して、高校を出ると親元を離れ寮のある授産施設に入所し自立した。

自立と言っても、授産施設でもらえるお給料はすごく安いらしい。普通に1日8時間働いても月3〜4万円くらいとか、仕事の受注が減ると月2万円くらいとか。

それと障害年金を合わせて施設費を払い、少し残ったお小遣いで、映画を観に行ったり、本を買ったり、実家に帰って過ごしたり、ささやかな生活に幸せを感じ満足していた。

成人しても週に1度は必ずリハビリ通院して、数年に1度、頚椎専門医を受診してきた。

脳性麻痺は自分の意思と関係なく頭がフラフラと動いてしまうそうで、健常者より頚椎への負担が大きいため、頚椎神経が圧迫されて手足に痺れが出て来たら、早めに対処が必要で、定期的な受診が必要なのだそうだ😥

 

「健常者がしなくていい負担」と、今回の選挙中2人の候補者を例に山本太郎さんが言ったけど、私もその原告の半生を作文にする作業をしながら、同じように感じた🤨

 

健常児ならば住んでいる地域の学校に当たり前に通い、かかる病院も選べて、両親が共働きできるサポートもあるが、もし子どもに重い障害があると本人とその家族は遠くの病院、遠くの学校、遠くの施設に行くことになると知った。ガソリン代もすごくかかるだろうし、共働きだったら両親のどちらかは仕事を辞めなきゃいけないかも知れないし、あまりに落差が大きいように感じた😥

この日本で、当事者は「そういうものだ」と受け入れてしまっているのかも知れないし、周りも「大変だねぇ」と他人事な感じになりがちだけど…

なんだか、それは寂しいような切ないような😢

障害があっても行政のサポート次第で他の子と同じに地元の学校に当たり前に通える社会にはなれないかな。

それを、特別扱いとか、わがままとか、今回のれいわの議員2人に対するバッシングのような見方をせず、当たり前のことでしょう、社会は助け合うものでしょう、という感覚が育つ国であって欲しいと思う。

フランスやドイツなど、日本よりはるかに高福祉の国民はそういう感覚らしい。

 

経済的にゆとりが無くて重度の障害のお子さんを持った家庭とか、今の日本では社会から取り残されるんじゃないかと、心配になる😔私が知識不足なだけなのかも知れないけど。

 

うちだって、いつ家族が事故や病気で障害者になるか知れないし。。😱

 

そういう感想を持った後だったから、れいわの2議員のやっていることは、私も含めて制度をほとんど知らなかった人に知ってもらうためにいいことじゃないかと思えた😊

 

飲み会で私のそんな思いを語ったら、

それはみんな、ウンウンそうね、分かるよ。と、優しく肯定してくれた。

けど、ある人は、2人の議員の内の女性は話すことができるから特に問題ないんだけど、男性の方は話すことができなくて、目の動きだけでどうにか意思を伝えられるといったレベル。それでは質疑ができない、議員の仕事ができないかも知れないじゃない。議会開くのに税金もたくさんかかるのだから、あのやり方はまずいと思う、、という趣旨の考えの人がいた。この方は、普段から常識的で、気配りのできる優しい人。

その人がそういう感想を持ってるのを聞くと、そんな風に思う人、結構いるのかなと😟

私にはその答えは思いつかない。国会運営とか国会の会議場の造りとか、全く知識不足だし、改善策について何のアイデアも出ない。。

だけど、そのハンデがあるのだから議員立候補を諦めろ、と言うのは、日常生活で健常者より多くの苦労をしている方に対してあんまり冷たい気もする。

どんな人でも議員を務められる議会でないと、平等とは言えないし⚖様々なマイノリティの声を当事者が伝える必要もあると思うし。

ツイッター上では、国会は国全体の事を決めないといけない、障害者の問題だけではないのに自分の為に議員になってる、とかいう批判も見るけど、それは違うと思う😥

 

この2人よりも自分の財産を増やすこととか名誉だけの目的で議員になってると思える人はいるからね。。😛

 

ここは一つ、これをきっかけに日本社会の意識が変わるべきだと思う。

知恵を出し合って、今までの議会の形式に囚われないで国会を進化させてくれたらな。その仕組みが地域社会にも波及すればいいと思う😌